今年、フュギュアスケートファンの私にとって二つのニュースがあった。
一つはとても無念なニュース。
カザフスタンのデニス・テン選手殺害のニュース。
彼はソチオリンピック銅メダリスト。
カザフスタンでフュギュアスケート初のメダルをもたらした、国の英雄。
彼を殺害した犯人は彼だと知らずに殺してしまったという。
私はニュースを聞いてショックを受けた。
多くの国民がきっと彼を知っていたはずなのに
他のニュースでこんなに気持ちを動かされることはないのに
デニス・テン選手のことは知っていたけど、他の多くの選手たちと同じように見ていただけだったのに
いろんな気持ちが沸き起こって、日に日にショックが広がっていくのが自分でも不思議でならなかった。
お金がかかるフュギュアスケート選手という庶民とは違う生活レベルで生きてきた人が、街中で暴漢に殺されてしまうという環境が、世界には当たり前にあること、わかっていてもそれを近くに感じたショックなのかもしれない。
栄光が素直に称賛され喜びが返ってくるシンプルな循環さが実現するはずだ。ただそこまで成熟するには、嫉妬や羨望に引き起こされた悪意による代償を払わなくてはいけない。そんな途上の一時があるのかもしれない。
自分の車の部品を盗もうとしていた犯人を追いかけたというデニス・テン。
その車は功績の象徴だったのだろう。追いかけたのは正義感からだったのかもしれない。負けん気からかもしれない。それはもう本人でしかわからないこと。
ただただ、あのとき追いかけなければ、と凡な私はどうしても思ってしまう。
しかし、その時の彼がそうしなくてはいけない動機があって、そのための行動であったのなら、そんな彼を称賛しよう。
真面目で実直で何か信念をもっていることがうかがえるスケートだった。
好きな選手だった。
今なお、多くの人々の心の中で生き続けているのだと、私は思う。
もう一つのニュースは、一転して喜ばしいこと。
髙橋大輔さんの選手復帰だ。
一年の限定ということだが、やはり心が躍る。
4回転ジャンプが何種類も飛べて強い選手はいくらでもいる。
だけれでも、高橋選手のように「魅せる」トップ選手はいまだにいない。
氷との親和性の高さ。
吸い付くようなスケーティング。
ステップのように飛ぶジャンプ。
上半身と下半身がバラバラの方向に動きながらの華麗なステップ。
あんな風に滑る選手は稀有だ。
彼が初めてオリンピックに出てたのはトリノオリンピック。
そのころはノリの軽そうな若者で、うまいけれどメンタルの弱さが表出していて特に魅力を感じなかった。
そんな彼がめきめきと特徴を表してきたのはトリノ後、ロシアのニコライ・モロゾフコーチに師事してからだったと思う。もちろん、その前に国内で彼を育て上げてきた下地があったからこそ。モロゾフコーチは仕上げという良い処どりで全くいい仕事をしてくれた。
まず驚いたのは「白鳥の湖・ヒップホップバージョン」での演技。いろんな楽曲が使われているフィギュアスケート界でも、まさかのヒップホップ!?という隙間をつかれた驚き。
しかも体を上下しながら足元は滑っている。
本場NYでダンスを練習した彼は本当は恥ずかして仕方なかったと何かで読んだ。そんな照れくささを微塵にも感じさせず、堂々と演じていたのは流石だった。大切なのは、こういう個性的な演技にありがちなナルシスト感が全くなかったことで、安心して見ていられた。
これは彼が自我よりも客観性を重視してカッコよく見えるにはどしたらいいかを研究した結果だと思う。
この後、モロゾフコーチの元を離れた後も、マンボーやブルースなど、彼独特の世界観を十分に見せてくれた。
全くの余談だが、モロゾフコーチにとって高橋選手はコーチとして表現したかったことを忠実にそれ以上に見せてくれた存在だったのではないだろうか。高橋選手が離れたその後フランスの選手フローラン・アモディオに、ヒップホップなどのダンサブルな曲で躍らせた。それはまるで高橋選手の傀儡のように、モロゾフコーチの未練のように私には見えた。
さておき、私が選ぶ高橋選手の一押しプログラムは2011-2012のフリー:ブルース・フォー・クルックだ。
ねっとりとしたスケーティングがこのブルース曲とぴったり。カッコよさに引き込まれる。彼の身体で音楽を奏でているような一体感。何回見ても素晴らしい。
自分が勝つことよりもお客さんのために誰かのために滑っているとき力を発揮する高橋選手が、勝つときは決まって引き締まったドヤ顔だった。
優しい顔で柔らかく滑るときはいつも負ける。最後のソチオリンピックのフリーでは、もうそんな顔だった。
今季4年ぶりの復帰。以前のようなキレはないかもしれないけれど、自分のために勝負の世界に戻ってきた彼がどんな顔をして滑るのか、とても楽しみなのだ。