九州を暴風域に巻き込みながら台風25号が唐津を去っていったのは次の日のお昼すぎだった。
この日は佐賀市への移動日。
kちゃんちでお猫様とのんびり戯れ電車が動き出すのを待った。
自宅にいるようにのんびりと過ごさせてもらい、kちゃんの優しい気遣いに包まれた数日間だった。
唐津、浜崎にはまた来たい、また来ようと思う。
再会と出会い。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
佐賀市へは唐津から唐津線に乗り換える。
二両編成でのんびりとした景色の中を1時間半ほどの電車の旅。
私が育った茨城県の海はいつでも東側に広がっていたので、どこでも海は東にあるものだと長いこと思い込んでいた。神奈川県、とくに湘南では海は真南にある。海が東じゃなかったんだと気が付いたときの衝撃は今でも覚えている。。。
唐津市では北に唐津湾があった。佐賀市では南に有明海。海から離れて山に向かったのにまた海がある。佐賀県の地理が不案内というのもあるが混乱した。海は一方向にって思い込みがあったのか。。。
そんなことを考えながら佐賀駅に到着。
佐賀での宿は民泊を利用した。
私の旅行とは、誰かに会うためや用事や行きたい施設、イベントがあるとき。宿泊施設でゆっくりサービスを受けたいという気持ちもなく、食事も一日一食、特にグルメではないので、ホテルでのサービスはもったいない。基本的に宿は低料金で眠れるスペースがあれば十分。
もちろん高級なホテルの洗練されたサービスは極上だ。
それは厳しい訓練と知識と歴史の積み重ね。そして専用の施設と設備。
料金にはそれなりの理由があるのだ。
民泊はホテルのように洗練されたサービスはない。
施設や設備、備品も限られている。
オーナーの生活スペースと混ざり合う感じ。
一軒一軒、イレギュラー。
民泊ではホテルにはない、お金では得られない体験ができる。
当たり前の中に埋没せず、不明瞭な先を予想し動く。
非日常の中で自分の日常を作っていく。
能動的な思考と行動。
それが強くしなやかに生きる力を養っていくと私は思う。
だから、民泊は私にはちょうどいい。
今回、久しぶりの一人旅。懐かしい友にあい、会いたい人に会い、会うべき人に会い、生きたいところに行った。
なんと自由なことか。どこにいても、私は私のままでいられた。
毎日が自由で、どこにいても、何をしていても、心が精神が自在に動いている。
そのように生きていこう。これからも。
写真は唐津を発った日の唐津湾の夕日。
是非見てほしいとkちゃんが言ってくれていた景色。
次回必ず見てみたい。
今回の唐津の旅の記録は終わり。
読んでくださってありがとうございました。